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SEIKO(セイコー)腕時計の歴史

2016.06.02

19世紀後半あたりから腕時計は誕生したと言われていますが、最初は女性用の装身具として実用性も精度も低くアクセサリーの一種でしかなかったようです。

当時の時計の主流は懐中時計で、男性はみんな懐中時計で仕事をしていたそうですね。

ですがその後大きな動作をとらず時間の確認が出来る腕時計は、第一次世界大戦以降から広がりを見せ、第二次世界大戦には多くの腕時計が支給品として各国の軍で採用されていました。

この時の名残として今でも様々なメーカーからミリタリーウォッチと呼ばれるシンプルで視認性と堅牢性の高いモデルが復刻されたりしていますね。

 

少し話がそれてしまいました。

20世紀の初頭あたりから一部のメーカーを中心に腕時計の製造を開始していきますが、まだまだ一般ユーザーでは懐中時計が主流でした。

ちなみにセイコーが懐中時計を製造したのは19世紀後半、1895年(明治28年)のことです。

しかし、当時は全てのパーツを製造する技術は成熟しておらず、スイスなどから主要部品を輸入し、国産ケースに組み込むものだけのものだったそうです。

 

しかし、セイコー社の技術が劣っていたわけではなく、1893年(明治26年)あたりから懐中時計の自社製造自体はスタートしておりました。ただ、セイコー社+舶来機械の組合せのほうがまだ採算が取れる状況だったようです。

 

そんな中、フランスの装飾品店カルティエが角型ケースの「サントス」というモデルが、航空界の先駆者であったアルベルト・サントス・デュモンのためにつくられ、その洗練されたモデルはパリの社交界で話題となり、市販されるようになりました。1911年のことです。当然、セイコー社も腕時計の開発をしておりましたが、国内的には少量の腕時計は輸入されているのみで、まだ懐中時計が主流の時代。

 

そして1913年(大正2年)に国産初の腕時計となる「LAUREL ローレル」を完成させます。

これは完全に自社パーツのみが組み込まれた最初の腕時計で、セイコーが独自で作った全ての腕時計の祖となっています。

また、パーツを完全に自社製作し自社で組み込むことをマニュファクチュールと呼びます。

このマニュファクチュールを行えるメーカーは非常に少なく、SEIKOがそういった意味で他メーカーから頭一つ抜きん出ている所以ともなっています。

特に基幹部品であるヒゲゼンマイの製造には極めて高度な技術力を要し、並のメーカーではとても製造出来ません。

世界最高級の時計を作るとされるスイス三大高級メーカーなどもヒゲゼンマイは外部から調達しているところが多いそうです。

 

そういった海外にも負けない技術の歴史が詰まった「LAUREL ローレル」。

只今買い取り強化中となっております。

 

セイコー時計の買取は是非『ローレル』まで連絡下さい。

 

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