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SEIKOの威信をかけた時計 天文台クロノメーターとは

2016.06.28

日本が世界に誇る時計のブランドメーカーであるセイコー。

いえ、世界的に見ればセイコーではなく、SEIKOとすべきかもしれませんが、グランドセイコーなどの高級時計は日本以上に世界で、むしろSEIKOは日本より海外の方が評価されていると言えるかもしれません。

 

さて、そのセイコーの時計の中に「幻の逸品」と呼ばれる時計があります。

それが、通称「天文台クロノメーター」と呼ばれるものです。

具体的に説明しますと、セイコーが、スイスのニューシャテルの天文台で1960年代に行われていたクロノメーター(高精度な機械式時計のこと)のコンテストに応募して、実際に厳しい試験をくぐり抜けて合格した73個のムーブメントをそのまま利用し、製品にして販売したセイコーのことです。

通常であれば、こういったムーブメントはプロトタイプであり市販されることはないのですが、SEIKOブランドの威信をかけたか、現実にかなり安い値段(安いと言っても現在価格で50万以上ですが、本来なら1000万レベルの価値があったと言われています)で73個のみを販売しました。

 

当時100年以上続く時計の本場スイスで開かれる時計精度の検定試験、天文台クロノメーター試験。

OMEGAやZENITH、LONGINESといったスイスの古豪が集いその精度を競い合うという当時世界最高水準のコンクールだったのですが、このコンクールに1964年、SEIKOは参加することとなります。

ですが結果は惨敗、入賞すらすることが出来ずに終わってしまいます。

しかしこの結果によりスイス時計と日本製の技術力の差を見せつけられたSEIKOは意地になり改良を続け、翌年なんとか3本程を入賞させることが出来ます。

さらに翌年には32本とかなりの結果を残し徐々に入賞数を増やしながら順位を上げていきます。

そして事実上最後のスイス天文台コンクールの1968年、上位を独占するといった快挙を達成します。

しかし、1,2,3位を獲得することは出来ませんでした。なぜならそれらは当時まだ研究途上であったクォーツ時計だったからです。ですが、クォーツ時計に食らいつくSEIKOの時計は事実上の機械式時計の王といえるでしょう。

スイス時計業界にとって小国だった日本の時計に数年で追い抜かれ破れたこともあってか、天文台コンクールはこの年以降開催されなくなります。

そして、ラストイヤーの翌年1969年、世界初の市販クォーツ腕時計「アストロン」を発売しスイス時計業界に大きな打撃を与えることに繋がっていきます。

 

そういったヒストリーもあり、製品の技術力の高さもさることながら、その希少性から幻の逸品と言われているのだそうです。

 

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