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SEIKO(セイコー)腕時計の歴史 スイス天文台コンクールの歴史

2016.06.02

セイコーとスイス天文台コンクールの歴史は今から40年以上も前の話です。

 

ちなみに、天文台コンクールとは純粋に時計の精度を競い合うコンクールで時計メーカーの意地とプライドをぶつけ合うものでした。

その常連メーカーと言えば、今でも名高いオメガ・ゼニス・ロンジンなどで毎回トップを競っていました。

そんな中、日本のメーカーから挑戦していたのは1社のみでした。それが、セイコーでした。

 

その頃スイスと日本とでは時計に関する技術の差は歴然だったと言われていました。

そんな中でも唯一挑戦し続けたセイコーのチャレンジ精神は凄まじいものだったに違いません。

しかし、当時のセイコーの評価や評判は低く日本の時計マニアの方は国産の時計など見向きもせずにスイスのブランド時計を買っていたそうです。

ですがそのチャレンジ精神と天文台コンクールでの実績は確実にSEIKOのブランドを浸透させる事となっていきます。

 

SEIKOがスイス天文台コンクールに参加をしたのは、1963年から1968年の僅か5年でした。

当初は世界トップクラスのメーカーに全く太刀打ちが出来ないSEIKOでしたが、僅か数年で追いつき、そして追い越すほどにSEIKOの技術は進歩していきました。

実際に1968年ジュネーブ天文台コンクールでは実質メカ時計分野では1位~7位までをSEIKOが独占し圧勝したのです。

ちなみに、コンクールがこの年で最後になったのは、これまで全く相手していなかった日本の時計メーカーがスイスの高級時計メーカーを脅威に感じ、打ち切ったとも言われています。

まさしく、日本のセイコーが世界のSEIKOとして認められたといっても過言ではありません。

そういう意味では、天文台コンクールがSEIKOの名を世界に広げたとも言えるかもしれません。

 

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